2016.12.02

「印籠」は印章ケースの元祖?

 印籠といえばテレビ時代劇の「水戸黄門」のイメージが強いですね。水戸光國が悪人の目の前に家紋入りの印籠を掲げるというあのシーン……印籠=権威の象徴にも見えます。

水戸黄門

印籠とは、いったいどんな道具?

 印籠は水戸光國のような藩主しか持つことができない? と思いますが、実はこれ「江戸時代に生まれた携帯用の薬入れ」なのです。
 村田理如著「幕末・明治の工芸」(淡交社)によると、「印籠は将軍家や大名家だけでなく、男女を問わず旅の必需品であった。印籠の形態は一般的には3段か4段、要するに3、4種類の常備薬を入れる小箱の集まりでできている」とあります。
 当時は丸薬、散薬、煎じ薬など様々な薬があり、人々はそれらの薬を印籠の各小箱に入れて分別していたといいます。
 ちなみに印籠の構造は帯から吊るす「根付」や、蓋の開閉を調節するための「緒締め」と一組になって初めて道具としての機能を発揮します。江戸初期は旅の装身具として流行しましたが、次第に実用性より装飾性に重きが置かれるようになり、形態や技法、意匠は多様化を極めました。応急の薬入れという実用性は薄れましたが様々な工芸の技法が印籠作りに凝集され、洒落や粋といった江戸文化を垣間見ることができます。

印籠の各部名称

印籠の各部名称

薬ケースの前は、やはり印や朱肉を入れていた

 

江戸の町並み

 しかしこの印籠、用途は薬入れだけではないのです。なんと印章ケースの元祖でもあったという説も。
 同書によると「印籠はもともと印鑑や朱肉を入れておくための道具だった」。「印籠」の名称は薬を入れる道具になっても「薬籠」とは呼ばれず、名残りで「印籠」がそのまま使われたそうです。確かに同じ「印」の字が使われているし、印章を入れる籠(かご)にも見えなくもありません……。
 それでは印章ケースとしての印籠はいつから誕生したのでしょうか?詳細は分かりませんが、手がかりとなる記述が「別冊太陽 江戸 細密工芸尽し」にありました。それによると、
「記録された印籠の例では、1603年に刊行された『日葡辞書』の『intro』が古く、『薬その他の物を入れる古箱』と説明されている」。
 つまり江戸時代元年にあたる1603年の時点で、すでに薬入れとしての印籠があった。逆にいえば印章ケースとしての印籠はそれよりも前に存在していたということになります。
 幕末になると印籠の装飾性が増してきました。上等品には蒔絵が施され、金や銀などの彫金された金具が象嵌されたり、象牙鼈甲(べっこう)、珊瑚などの高級素材が表面の装飾に使われるようになりました。
 さらに興味深い情報を入手しました。ウェブサイト「くすりの博物館」によると「印籠は印判印肉の容器で、室町時代に中国より伝わった」とあるのです。また「伝わってきた後、宮中で公家たちが火打ち石入れに使っていたが、失火を恐れて火打ち石の殿中持ち込みが禁止されてから薬容器に転用された」と使用経緯まで説明。
 ……もしこの情報が正しいなら印章ケースとして使っていたのは中国だけで、日本では使用されていなかったということになります。裏付けが取れないので謎のままですが、ひょっとしたら中国に行けば印籠の原型が見られるかもしれませんね。

 

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